システムエンジニアと音楽活動
ごきげんよう!
シンガーソングライターの梨木ハルトです。
前回の記事では、音楽という夢に一度距離を置き、システムエンジニアになったところまで話しました。
システムエンジニアになり、音楽で食っていくという夢に対しては遠のいたかのように思えました。音楽で食っていこうとしている人のキャリアとしては明らかに遠回りです。
それでも私はあまり悲観しませんでした。
むしろ「何をやってうまくいかなかったのだ。ここで社会人として最低は3年、勤め上げるつもりでやらなければ、今後何をやっても務まらないだろう。だから、今やるべきことをやる」という強い決意でいました。
向いていたエンジニア職
私は前職の経験(前回記事参照)から、「働くことは辛いことだ」という印象を植え付けていました。
ところが、現実は働くことが楽しかったのです。
「仲間がいて、新しい知識を共に身に付けて、その中で一緒に切磋琢磨していく」ということが新鮮で、楽しく、驚きでした。
後から思うとこのように楽しかったのだなあと気づきますが、実際その当時は、システムエンジニアという職業についていけるのだろうかという不安と、プログラミングという新しい知識を身に付けることで必死でした。
そして、どうやらこうやら約3か月の厳しい社内研修の後、私はシステムエンジニアとして現場デビューしたのです。(※システムエンジニアという職業は、建築業と一緒で「現場」と呼ばれるそれぞれの持ち場で働く働き方をする場合が多くあります)
社会人として一つハードルを越えた瞬間でした。
衝撃を受けたあるバンド
そして再開への想い
現場に出て働く頃には、社会人生活にも慣れてきました。バンドを再開しようかと思い、かつてのメンバーに連絡をしましたが、土日に働いているメンバーがいたのでその時点でバンドの復活は叶いませんでした。
私はどうしようか迷いました。ベースやドラムなしで歌うということが私にはハードルが高いように思えていて、音楽活動再開へなかなか踏み切れなかったのです。
そうした矢先、ネットサーフィンをしていて、あるバンドの曲にガツンと心を動かされました。
そのバンドはジギタリスというバンドです。
音楽シーンとしてはインディーズという土俵で活躍していた彼らでしたが、神話を土台とした歌詞、ケルト音楽をベースと思わせるような幻想的な楽曲に私は衝撃を受けました。
そしてそれは私に「音楽をあきらめるな」「もう一度音楽をやれ」と言っているメッセージのように思えました。
これは別に記事にしようと思っていますが、私はフリーター時代にアイルランドへ3カ月間留学していて、アイルランド音楽をルーツとした音楽に強い憧れや感銘を受けていました。そして、彼らにはその空気を感じていました。
そして、私は「たった一人でも音楽活動を再開する」という決意をしたのです。
社会人編3へ続く