覚醒

ごきげんよう!
シンガーソングライターの梨木ハルトです。
前回の記事では音楽活動への熱がまた蘇ってきて、「たった一人でも音楽活動をする」と決意したところまで書きました。

それでは次へまいりましょう。

音楽活動の再開

これまでバンド向けの楽曲制作にこだわってきた私でしたが、今まで組んでいたバンドのメンバーと一緒に活動ができない今、アコースティックギターと歌のみで表現できる楽曲を作らなければいけないと考えました。

そしてギター弾き語りというスタイルで楽曲制作とライブを始めたのです。

最初私は、歌に自信がなくボイストレーニングをトレーナーについて始めました。

それと同時に作詞と作曲を自分で再開し、多いときには月に1本のペースでライブをやりソロとしての場数を踏むことを念頭に起きました。

始めてみるととても楽しく、仕事の合間を縫って自分のペースで活動ができるソロという形態は自分に合っているように思えました。

アイリッシュ的な楽曲へのめざめ

バンド活動の後半は「ブルースロック」というバンドのカラーや方向性を意識するとあまり、楽曲制作に行き詰まることが多くなっていました。いわゆるスランプ状態だったのです。

ソロになってからはデビューを目指すとかそういうことはあまり考えず、「これはリハビリ期間なのだ」と割り切っていたので、特にジャンルを意識せずに「どんな曲でもいいからできればいい」という考え方で自由に作り始めました。

するとあれだけ作曲に悩んでいたことが嘘のように、
煮詰まることなく際限なく曲ができ始めました。

そしてそれらは、アイルランドに留学したときの影響か、ケルト色の強い、アイリッシュ的な雰囲気を持つようになってきたのです。

このことには本当に驚きました。

私はこのときから、自分の作る楽曲のジャンルやカラーについて意識することがなくなりました。

「自然と、自分の中から出てくるものを表現すればいいんだ」

ということに気付かされた時期でもあり、このリハビリ期間がなければ今の私はありません。

また、1曲を作るのにかかる時間が、ギター1本で作る分にはすごく短くなりました。早いときには30分もあればサビまでの歌詞とメロディーができるようになったのもこの時期です。

当時、フルタイムで働きながら作詞、作曲をしなければならないからこいうことが得意になったのか、元々作るのが早かったのかはわかりませんが、この時期に身に付けたこの特技は私にとって本当に助かりました。

社会人としてもミュージシャンとしてもやりきっている幸せ

エンジニアになってから2年目くらいまでは、とても人間関係にも恵まれ、仕事とプライベートのバランスも良く、システムエンジニアとしても成長でき、ミュージシャンとしても着々と自分の世界観というものを築いていった時期でした。

全力を出してやりきっている幸せとでもいうのでしょうか。振り返ると本当に幸せでした。

シンガーソングライターとしては、お金にするということを意識していませんでしたので、ライブの稼ぎはほとんどなく、いわゆる趣味でやっていました。

ところが意識としては、やはりプロと同等のレベルでやってみたい、「もっと今のレベルよりも高いステージに行きたい」という想いが強くなっていったのです。

音楽の分野で常にそう思っている私ですから、エンジニアの仕事で残業続きになるケースでは、不満がつのるのは当然です。

システムエンジニアは、厳しい現場に直面する場面が必ずやってきます。おそらくシステムエンジニアとして3年も現場を転々としていればほとんどの人がこれを経験するのではないでしょうか?

これを経験したときにどう思えるか、
仕事だと割り切れるのか、
それとも将来について考えるきっかけになるのか。

それらの考え方や言動が、その語のその人の人生を決めると言っても過言ではないと思います。

私は後者だったので、当然、色々行動もしましたし、変化も訪れました。
これからはその激動とも言える変化について書いていこうと思います。

社会人編4に続きます。