岐路に立つ~ピンチはチャンス~

ごきげんよう!
シンガーソングライターの梨木ハルトです。
前回の記事では社会人をやりながら、音楽活動するということを軌道に乗せたところまで話しました。

それでは次へまいりましょう。

ハードな現場の経験

システムエンジニアとして2年目のことです。
突然、現場からこの月までで終わりという宣告をされました。

現場として落ち着いてきていて、自社(私からすると仕事を請け元の会社)のエンジニアだけで間に合うようになり、他社のエンジニアが必要なくなったのです。
こうして、私にとって最高に居心地が良かった現場は突然終わりを告げました。

そして、次に自社から言い渡された現場で、残業続き、終電帰り、土日も出勤といういわゆるブラックな現場に転属されました。

その現場は3か月程度の短期間で終わったのですが、その次の現場でもっと長期で同じような厳しさの勤務時間での働き方が始まりました。

そのとき、私が友人に誘われてたまたま組んでいたバンドが比較的有名なライブハウスのオーディションに受かって、「これからライブをどんどんやる」というモードになっていました。

私は音楽を優先させることができずにライブ出演を断り、バンドメンバーと険悪なムードになって、そのままそのバンドを脱退しました。

さらに体調を崩し、遅刻しがちになった私に現場の上司から「離れてくれないか」との申立てがありました。

心の面でも体の面でもこのまま続けてはやっていけないと思っていたところだったので、その申立てを私はすんなり受け入れることにしましたが、自社からは当然厳しい追及を受けました。

作曲や音楽を奏でるということが生活の一部になっていた私にとって、趣味だのプロだのとかそういうこと以前に、音楽をやる時間がほとんどないという状況そのものが耐えがたいものになっていました。

そのとき、

「私は音楽をやる時間が確保できていないと私は色々な意味で駄目になってしまう人間なのだ」

ということもひしひしと感じました。

 

小さな願いと自問自答

そのときの私の願いはこうでした。

「どうか音楽をやる時間を週末と、平日家に帰った後、1時間、いや15分くらいでいいのでほしい」

そして、それすらも仕事によってできないという生活にとてつもない矛盾と怒りを感じました。

 

私は必死に自問自答しました。

「もし次に、仕事とプライベートのバランスの良い現場に入れたとしてもそれも終わってまた、厳しい現場に配属されるかもしれない。その状況になってまた理不尽な思いをしたいのか?」

「NO!」

当時彼女がいた私にとって「家族を作る」という問題も切実になっていました。

「このまま現場を転々とするエンジニアになって音楽がやれないときは、やれないと潔く我慢する生活を送る?」

「NO!」

「このまま彼女のために時間のない、収入的には安定した生活を取り、音楽をやれない人生を受け入れる?」

「NO!」

「もし安定した現場にずっといれるような体制になったとして、このまま趣味として、内輪の人たちだけを呼んでライブをやるような形で、発展のないまま細々と音楽をやり続ける?」

「NO!」

 

様々な現状に対して、私は「NO!」という答えしか出ませんでした。

フリーター時代から、悩んで悩んで悩み続けてこれが正しいという答えが一度社会人になることでした。

そしてその答えもどうやら違うかもしれないということ漠然と思い始めていました。

しかし、私はだからといって、この状態をどうすれば変えることができるのか全くわかりませんでした。

忙しい毎日は、容赦なく私から思考力を奪うように周り続けていきました。

音楽という夢を諦めたらどんなに楽になるだろう。

そう何度も何度も思いました。

けれど、何度もそう思って諦めようとしても私はその夢をあきらめることができませんでした。

そして、決意とかそいういうものはなく、虎視眈々と獲物を狙う獣のように、私は自然と、そしてひっそりとこのような生活から逃れるための情報を探し始めました。

社会人編5へ続く。