フリーターから社会人へ

ごきげんよう!
シンガーソングライターの梨木ハルトです。

前回の記事では、フリーターをやりながらの音楽活動がうまくいかず、一度家を出たものの実家に戻り、学校関係の会社に就職したところまで話しました。

学校関係の仕事ということで夏休みが長く取れ、音楽をやる時間もできると思い就職したのでした。

その会社は教育関係の書籍を扱う営業職で、営業などやったことがない私にとって不安がいっぱいでしたが私は遅ればせながら正社員としてスタートしたのでした。

再び病人へ

仕事は営業職とはいえどルート営業で、決まったお得意様に挨拶して、用件がないか聞いて回るよう仕事で、家族経営の人間関係の難しさはありましたが、比較的順調に思えました。

ところが、新学期になって重い図書の荷物を運ばなくてはいけない時期になり、私は腰を痛めてしまったのです。 もともと、少し腰に不安はあったのですが、重い荷物を頻繁に運ぶうちにそれがひどい痛みとなってしまったのでした。
私は、会社として一番忙しい時期に動くことができなくなり、会社にとってお荷物となってしまいました。

病名は椎間板ヘルニアでした。

当時は少し動くだけでも激痛が走るような痛みがあり、一時期は寝たきりの生活になりました。
当然音楽もできません。

2週間ほどの休養だったかと思います。
腰に不安を抱えての復帰でしたが、これだけ大事な時期に休んだせいで信頼を失い、以前から少しきついなと思っていた家族経営の人間関係がますます私には合わないものと思うようになりました。

そして、勤め始めて約1年程度でその会社を辞めました。

音楽も腰をかばって活動ができず、このときからバンド活動をしなくなりました。ドラマーも就職し、だんだんそれぞれが忙しくなりました。

6年ほど続いたバンド活動はここでいわゆる自然消滅したのです。


私は音楽を続けたいという願望から、休みが多いだけの理由で会社を選んだことを後悔しました。

そんな理由で会社を選んだことが何か見えない力で跳ね返ってきてしまったのだ。そんなようにも思えました。

そしてシステムエンジニアへ

しばしの休養の後、私は手に職ということを意識し始めます。
手に職があれば、一生食うに困ることなく音楽を続けられると思ったからです。
28歳になってからの技術職志望。
当然、面談で冷たくあしらわれることも何度もありました。

けれど、音楽以外何もスキルのない私は必死でした。
ある意味開き直りもあったかもしれません。

片っ端からWEB応募したシステム開発会社。
そのうち1社に入社することができたのです。

それからは音楽をしている余裕はなく、せっかく手にした職業に慣れることに必死でした。

そしてそのまま会社員としての自分に目覚めて、やりがいや楽しさも覚え、音楽は忘れ去られてしまうのか。当時の自分はそう思っていました。

ところが、音楽への熱はまた疼き始めるのです。

社会人編2へ続く