うつ病になってから

ごきげんよう!
シンガーソングライターの梨木ハルトです。
前回の記事では、うつ病になり、社員になりかけた仕事を辞めたところまで書きました。
自宅で療養という形になったのですが、「うつ病」という病気は家族からすると、あまり大したことがなさそうに見えたようです。

「そんなの気持ちの問題だ」

「せっかく正社員になりかけた仕事も続かなくて、そんなことでどうするのだ」

という批判が私を待っていました。

私は病気になったのに、自宅が安住の地ではありませんでした。

私はそのとき「一刻も早く実家を出なければ死んでしまう」と思いました。

初めての一人暮らし。そして惨敗

私は実家を出ることにしました。
当時アルバイトすらも安定して続けられなかった私にとって、これはとても無謀でした。
けれどそのとき私は冷静な判断が下せないほど、実家にいることが嫌になっていました。

私は、短期のアルバイトを1つだけ見つけて、家賃4万円程度のアパートに住み始めました。

結果は無残なものでした。
まずお金がない。アルバイトの掛け持ちで時間がない。インターネット環境もない。なによりアパートでは楽器を鳴らせない。

唯一ここでできたことは、住んでいたアパート近くのスタジオに通い、作りかけていたバンドのアルバムを仕上げることでした。

経済的にも追い詰められ、精神的にも自分を追い詰めていくような状態になり、結局、私は実家に戻りました。

本当に自分を情けないと思いました。

また実家へ戻る。就職へ

無残にも惨敗した私は、実家へ戻って立て直すことにしました。

もう年齢は27歳になっていました。

そして、ここまで失敗したからには、それでもフリーターをしながら音楽をやり続けるという選択は私にはありませんでした。

バンド活動は、ドラマーが大学受験をするという理由で、受験勉強のために中断していて、私が一人暮らし中に録音した音源を3人でミキシング(各パートの音源を1曲の形にバランスなどを整えまとめる作業)し、アルバムを1枚作り、それから活動再開のめどは立ちませんでした。

私はこの時点で、バンド活動をしてメジャーデビューするという夢へのモチベーションはこのときほとんど失いかけていました。

そして私は打ちのめされた想いで就職先を探しました。

いくつかの就職先を応募するうち、運よく雇ってもらえるところがありました。

学校関係の仕事で、学校が休みの間は夏休みがあるという、正社員としては珍しい仕事でした。

これであれば、音楽をやる時間も取れるという淡い期待もありました。

社会人編1へ続く

フリーター時代を振り返って

フリーター時代のことを考えると、私は本当に胸が苦しくなります。けれど、これらの経験がなければ今の私はありません。

大学を卒業した私が、就職という道を選ばず、フリーターになり、音楽の道を志し、音楽を仲間を精一杯やり、家族との関係に悩み、迷い、挫折を味わったこと、それら全てが今の自分にとって本当に糧になっています。

私のフリーター時代の悩みは

家族との関係

それと

自分を「これでいいんだ」として
自分のありのままを認められなかった自意識の問題

でした。

家族のことは批判ぽく書かれていますが、私は家族を批判したかったわけではなく、自分のためにも当時のありのままを書きたかったのです。

それに当時は家族を恨んだりしましたが、今は感謝しかありません。

もしかしたら同じように音楽の道を志し、悩んでいる人もいるかもしれません。何かに参考になれば幸いです。

次の社会人編も何かと色々ありました(笑)
ご興味ある方はどうぞ読み進めてみてください。

社会人編1はこちら