はじめに
幸い、インディーズのレーベルからシンガーソングライターとしてCDを出すところまでできました。
けれどそれでも、とても幸せな音楽人生を送れていると思っています
しかし、このような気持ちに至るまでは、長い道のりでした。
私は過去の自分への教訓と、その年代、時期を迎えて夢と現実の間で葛藤している人たちの参考になるかと想いから、私の色々あった音楽人生について何編かに分けて書くつもりです。
ですので、題名はその時期に応じて~(年代)編という名前を付けています。
ご興味のある方はしばしお付き合い願いたいと思います。
深い痕跡を残しているある後悔について
そんな中、楽器を弾くことが楽しく、かなり熱中してやるようになってきていたので、私は音楽を専門に勉強したいと思うようになっていました。
「大学は行かずに音楽の専門学校に行きたい」
親からは猛反対されました。
というようなアドバイスだったと思います。
私自身はというと音楽の道に進むことが自分のためになるということはわかっていました。
それでも大好きな音楽の道に進むことが、自分で怖かったのです。
家族の中では、私の祖母が音楽はちゃらちゃらした人間がやるものだという変な思い込みを持っていたので(今でも)、「とんでもない」というような反応でした。
その度に怒鳴るような喧嘩を繰り返し、その度に愛している音楽を馬鹿にされた傷が深くなりました。
といったような根拠のない思いがもたげてきました。
「大学を卒業してから好きなことをすればいい」
などと言われていたことも覚えていますが、
今思うとそんな言葉は嘘っぱちでした。
いいおっさんになった自分が言うのもなんですが、大人はだいたいそういうときに嘘をつくのです。
(大学を卒業して音楽の道を目指してフリーターをやっていた頃は親は就職しろ就職しろとしつこく言うような毎日でした。)
結局私は、自分の弱さから「音楽の専門学校には行かずに大学に進学する」という道を選んでしまったのです。
大学時代の葛藤、無気力
大学の勉強ははかどりませんでした。
「本当は音楽の専門学校に行きたかったのだ」という後悔の念ばかりが頭の中にあって、大学での勉強はあまり自分の役に立たないと思っていました。
エレキギターの世界でプロである師匠の元で月に2度ほどレッスンを受けていましたが、それだけのレッスンでは物足りないと感じていました。
今思えば本当に甘ちゃんですが、音楽をする時間がないことを大学の授業があるせいにしていました。
なにより「音楽という夢」に全力で向き合えていない自分が嫌いでした。
そういうことを繰り返すうちに私は何に対しても無気力になりました。
この頃の自分はただ大学とサークルと、ギター教室をただ移動しているだけ。
授業もだらだらと受け、サークルには顔だけ出し、音楽もだらだらとやりというような生活でした。
そして、夢に向かえていない自分を責め続けていました。
「夢に向かうこと=音楽に関係のない大学にいること」とは到底思えなかったからです。
しかし、そんな自分を変えてくれたある出来事が起こります。
(続きは大学編へ)
振り返って
今でも
「あのとき、音楽の専門学校に行っていれば」という後悔
自分の決断や人間としての弱さ
その弱さに対する怒り
悔しい想い
それらがぎゅうううううっと自分の胸を締め付けてどうしようもなくなるときがあります。
かと言ってあのとき専門学校に行っていれば、今素晴らしい音楽人生になっていたかというとそれを選んだあとのことは誰もわかないので何とも言えないところが人生。
でもあのときの決断を招いてしまったのはすべて自分が悪いのです。
一時期は親や環境というものをすごく恨みました。
あのときの決断は、親や環境に左右されたとはいえ全て自分が悪いと思うことにしました。
涙が出てくるほどに自分が悪い。
全て俺が悪い。
けれど、親や環境に左右されずに決めたことは絶対自分の糧になるってこと。
あのとき決めきれなかった自分のアドバイスじゃ説得力がないかもしれませんが、 後悔が残るような選択をした経験があるからこそ言える言葉もあるんじゃないかと思います。
10代の自分にも向けて書きました。